Photo: wikimedia.org
米国コネチカット州の自然保護センターではオオアリクイの赤ちゃんが不意に誕生した。グリンウィッチ・
タイムが報じた。母親と父親が別々に暮らしているにもかかわらず子供が誕生したこのケースはあまりにも
稀で、保護センターの職員らは今のところ説明がつかないと首をかしげている。 の続きを読む »
米国コネチカット州の自然保護センターではオオアリクイの赤ちゃんが不意に誕生した。グリンウィッチ・
タイムが報じた。母親と父親が別々に暮らしているにもかかわらず子供が誕生したこのケースはあまりにも
稀で、保護センターの職員らは今のところ説明がつかないと首をかしげている。 の続きを読む »
蘇生医療の現場では、「脳波が平坦になったあとでも、数時間は意識が存続する」と見られる現象が
報告されている。蘇生医療の専門家で「死後体験」の研究者でもあるサム・パーニアに、新刊について
語ってもらった。
http://wired.jp/wp-content/uploads/2013/05/end_of_life1.jpg
Image: Emilio Labrador/Flickr
サム・パーニアは蘇生医療の専門家だ。死の淵から人を助ける仕事だが、蘇生した人たちは時折、
物語を持ち帰ってくる。意識に関する、従来の科学的な概念に挑戦するような物語だ。
蘇生医療は、鼓動が止まった心臓を復活させるための医療処置「心肺蘇生法(CPR)」が採用される
ようになった20世紀の中ごろに始まった。当初は、CPRが有効なのは心停止から数分間だったが、医療
技術の進歩により、その時間は30分を超えるまでになった。
新しい手法とともに、「生と死の狭間」はさらに拡大している。そして蘇生した人々からは時折、従来
考えられてきた事柄を否定する体験が報告されている。脳の活動が停止していたはずなのに、周囲の
物事を見たり聞いたりしたというのだ。
蘇生した人々の記憶が正確で、なおかつ脳が本当に停止していたのだとすれば、少なくとも現在の神経
学では説明が付かない現象だ。
「現在はっきりとしているのは、人間の意識が消滅するわけではないということだ」とパーニア氏は語る。
「意識は”死”のあとも、数時間は存続する。外側からは見ることができない冬眠的状態であるとしても」
パーニア氏は、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校付属病院の医師で、同大学の蘇生法研究
プログラムの主任だ。北米と欧州の25病院で臨死体験を記録する「Consciousness Project Human」
のAWARE調査の責任者として、この現象を科学的に研究している人物でもある。
パーニア氏はこのほど、新しい著作『Erasing Death: The Science That Is Rewriting the Boundaries
Between Life and Death(死を消去する:生と死の境界を書き換える科学)』を刊行した(同氏は2002年
には臨死体験を研究する財団も立ち上げた(日本語版記事)。既刊の邦訳書には『科学は臨死体験を
どこまで説明できるか』(三交社)がある)。
WIREDはパーニア氏に、新刊と蘇生と意識について話を伺った。
WIRED:新刊のなかであなたは、死とは瞬間ではなくプロセスだと書かれていますね。どういう意味でしょうか。
サム・パーニア:死を定義するのに使われてきたポイントがあります。心臓が鼓動を止め、脳が機能を停止
するポイントです。CPRが発達する50年前までは、このポイントに到達すると戻ってくることができませんで
した。このことが、死は完全に不可逆だという認識につながりました。
しかし、わたしがいまこの瞬間に死んだとしても、体内の細胞はまだ死んでいません。細胞が酸素を奪わ
れて死ぬまでには時間があります。現在では、人間が死体になるとき、つまり医者が死んだと宣告する時点
では、生物学および医学の視点から見ると、死が覆される可能性がまだ残っていることがわかっています。
もちろん、死者を戻ってこさせることができなくなる時点は訪れます。しかし、それがいつなのかは誰にもわかり
ません。数十分後という場合もありますし、1時間以上あとになる場合もあります。死とはプロセスなのです。
WIRED:人はどうやって死から生還するのですか?
>>2あたりに続く
TEXT BY BRANDON KEIM TRANSLATION BY RYO OGATA, HIROKO GOHARA/GALILEO
WIRED NEWS 2013.5.2 THU
http://wired.jp/2013/05/02/consciousness-after-deathall/
走るべきか、歩くべきか。この質問は少なくとも30年以上、医師や運動好きの人を悩ませてきた。いまでは、
ある研究がいくつかの点を解明している。同じカロリー消費ならウォーキングのほうが健康にいいが、ランニングの
ほうが早く痩せられるというのだ。
http://wired.jp/wp-content/uploads/2013/05/shutterstock_92732086.jpg
Walking in Forest photo from Shutterstock
長い時間元気にウォーキングするのと、軽快にランニングをして脂肪を燃焼させるのは、どちらが体にいいだろうか?
30年もの間、さまざまな本や研究で、専門家たちの見解は分かれてきた。
最近、事態はさらにややこしくなった。同じ研究が、正反対の記事の見出しになったのだ。「ウォーキングはラン
ニングより健康的」と『ガーディアン』紙が書いたのに対し、『Health Magazine』は「減量するにはウォーキング
よりもランニングのほうがいい」というタイトルを付けた。
6年の歳月を費やしたこの研究は、ポール・ウィリアムスのものだ。彼はLawrence Berkeley National Laboratoryで
研究を行い、2つの異なる論文を発表するのに同じデータを用いた。それらは正反対の結果だった。少なくともその
ように見えた。
1つ目は、ランニングをする人が痩せていて、トレーニングで消費したカロリーが同じだとしても、ウォーキングをする人
よりも簡単に痩せられることを示している。肥満の場合は特にそうだった。しかし2つ目は、ウォーキングが高血圧や
高コレステロール、糖尿病を予防するのに最良の選択だということを強調している。これらは心臓疾患の主原因だが、
こうしたさまざまな病気は体重の増加と関係しているのではなかっただろうか? では、どちらが健康によいのだろうか?
Slateが指摘しているように、体重を減らせば健康になるというわけではないし、メタボリック・ヘルス(代謝バランスの
健康状態)には、皮下脂肪よりもむしろ高血圧や血中のトリアシルグリセロールが重要であることを考慮しなければ
ならない。
したがってウォーキングをする人は、食事のバランスを取らないと、ランニングする人よりも体重が増える可能性がある
のは事実だけれど、一般的な「健康」について(高血圧、高コレステロール、糖尿病のような生活習慣病予防に
関して)は一歩先にいると言える。
しかし、「一歩」にすぎない。科学的に評価すれば、結果は本質的には同じようなものだ(数値については記事の
最後を参照のこと)。言い換えれば、しっかりした足取りで歩いたり坂道を歩いたりするのは、走るよりも少しだけ
健康にいいと言うことはできる。しかし重要なのは、運動に時間を割くことだ。
1990年代初頭にウィリアムスが4万7,000人に参加してもらって研究のためにデータを集め始めたとき、彼にはこの
昔からの議論を解決するという野心があった。80年代初頭に、ブームでジョガーが雨後の筍のように姿を現し始めた
ときに始まった議論だ。その20年前にアメリカで10万人を数えるだけだったのが、1980年には3,000万人になっていた。
医師たちはランニングの影響を心配し始めた。最初は、エンドルフィンの分泌がランナーを依存症にする可能性は
ないのか。次にアキレス腱石灰化、疲労骨折、ヒザの炎症のリスクはないのか。
最終的に84年夏、カリスマランナーだったジム・フィックスが、朝のランニングの間に心臓発作で倒れて死亡したことに
より、ブームは終わりを告げた。アメリカの(そしてほかの国でも)ジョガーの数は79年から85年の間に40%減り、
ウォーキングが優勢になった。
データについて言うと、エネルギー消費が同じ場合(例えば女性の場合、7.4kmのウォーキングは5.15kmのランニングに
等しい。平均的に、40分のランニングは1時間20分のウォーキングと同じ価値がある):
・高血圧と関連するリスクは、ランニングで4.2%、ウォーキングで7.2%低下する。
・コレステロールは、ランニングで4.3%、ウォーキングで7%減る。
・糖尿病のリスクは、ランニングでもウォーキングでも12%減少する。
>>2あたりに続く
TEXT BY MICHELA DELL’AMICO TRANSLATION BY TAKESHI OTOSHI
WIRED NEWS 2013.5.10 FRI
http://wired.jp/2013/05/10/running-or-walking/